最近、あまり更新できておらず…

ということで最近のつぶやきを
まとめておきます★



【代償運動】

手放しで立てない人に手放し歩行の訓練に
一体何の意味があるのか…

両足ですら支えられない足で歩行をすれば代償しか生まれない気がする。
それで良くなるならセラピストは要らない。



目に見える代償には必ず意味がある。
何かをかばっている。
本来使うべきどこかが上手く使えない、
あるいは使えると本人が思っていないか使いたくないと思っている。

アプローチすべきはそこのはず。



問題を抱えたまま姿勢を左右対称にしようとすれば、
新たな代償で対応するしかなくなる
。その代償をまた修正しようとする…といたちごっこになる。

代償に踊らされてはいけない。
なぜ代償が生まれているか、
を考えないと真の原因にはたどり着けない。



麻痺側や患側の下肢が
良い下肢の半分の力しか出ない、と認識している人。

半分の力しか出ないと思っているのに左右対称な姿勢がとれるのなら、
それはどこかでかばって、
見た目だけは真っ直ぐな姿勢をとっているはず。
でもその時患者さん自身は真っ直ぐとは感じていないかもしれない。



ただセラピストが今が真っ直ぐだよ、
なんてゆう言葉を頼りに真っ直ぐになっているだけであって、
患者さん自身は左右の下肢の違和感をもったままかもしれない。

本来は悪い下肢が反対の下肢と同じくらい使え、
頼れると感じれば自然に姿勢は左右対称に近づくはず。



繰り返される代償動作の結果、
生まれるのは代償動作の強化と効率化である。

代償動作も慣れればその中で過剰努力はある程度減ってくる
。しかしそれはあくまでも代償動作であって、改善ではない。
こちらの介入効果でもない

セラピストは代償を効率化させることでなく、代償原因を改善するためにいる。



代償運動での動作の獲得はいつでもできる。

セラピストは関わっている間に患者さんが望めば、
できる限り代償を生んでいる要素にアプローチすべきだと思う。
退院が近づいたがまだ代償をせざるを得ない時に
代償を利用しての動作の自立や安定性の向上につなげれば良い。



代償運動があったとしても、
患者さん自身がその理由を頭と身体で実感していて、
どうしたら良くなるかを掴んでさえいれば
日常生活で自分の弱い要素を徐々に使えるようになる。

怖いのは、代償の原因を知らないまま動作が自立してしまい、それが定着すること。



患者さんの声を聞き、
その言葉の意味やその言葉で伝えたいメッセージを
身体機能と擦り合わせながら解釈する

患者さんの声をなぜか若いセラピストは軽視することが多いように思う。
客観的な評価でセラピストが都合よく解釈している限り、
患者さんの本当の問題には近づけない。



筋力低下や関節可動域制限は主要な代償の原因ではない。
上手く動かない部分をかばいながら
動作を遂行せざるを得なくなったために
二次的に生まれたものも多いのでは(OAは元々の制限があります)。

筋力低下や可動域制限はそこを使わず、固定していた証拠かもしれない。


じゃあそこの筋力をつけて、
ストレッチすればいいのか?
それでも動きは変わらないことが多いのでは?

それらは結果であり、考えるべきはなぜそこを使えなかったのか?
固定せざるを得なかったのか?
なぜ今まで通り使えなくなったのか?を考えるべき。

その問題は目に見えないかもしれない。



多くの患者さんは自分が代償をしていることに気づかない。
患者さんの多くは見た目がどうこうよりも
、まずは転ばないようにする、トイレに移る、食事をするという目的が先行する。

見た目や効率性よりも遂行する、こと自体が目的となる。
それをセラピストの適切なアプローチ介助やポジショニングなどの環境設定により
楽に動けたときに、初めて自分が無理なやり方をしていたのに気づくかもしれない。

介助は足りない要素を補うことだと思うし、
最終的に患者さん自身でそれに気づき、
制御する方法を身に付けてもらうこと。



四肢の運動を見る前にまずは姿勢制御を考えなければいけない。
姿勢の安定が保証されなければ、
自ずと四肢は姿勢制御を助けるためにも参加せざるを得ない。
また頭頚部や体幹を固定すれば自然な四肢の動きは妨げられる。



【セラピストとして…その他】

患者さんに感覚に障害があるんです、
とか麻痺で動かないんです、
というセラピストの言葉は残存能力の発揮の可能性をゼロに近づける。

セラピストの言葉は患者さんにとって影響力が強い。

治してくれるべきセラピストからそんな言葉が出てしまうと
患者さんは自分の回復への希望を絶たれてしまう思いでは?



自分の身体が思い通りに動かないことは患者さんが一番感じている。

それをどうにかすべきセラピストが
そんな諦めの言葉で追い打ちをかけてはいけない。
それをどうしたら少しずつでも思い通りになっていくかを

考え、実践するのが、こちらに課された課題だろう。



なんで?という気持ちを忘れない。

なんで筋緊張が高くなる?
なんで筋力が低下する?
なんでそのような歩き方になる?

なんで?なんで?…その繰り返しが
目に見える現象における本質的な原因(問題点)をあぶりだす。



片麻痺は上下肢が動かないと捉えるか、
動かし方が分からないと捉えるかで、
アプローチはずいぶん変わるんじゃないだろうか。



多くの中枢、運動器疾患患者さんは、随意運動に異常がみられる。

でもそれは単に筋収縮が起こらないのでなく、
どうしたら自分の身体が思い通りに動かせるか分からない、
という認知的な問題も含んでいる。



教えてくれる人がいない、と嘆くなら、
自分が外に出て情報を仕入れ、スキルを磨いて教えてあげられる人になればいい。



頭で考えたことからスキルは生まれない。
スキルは実践と反省と修正、再実践のサイクルからしか生まれない。
体験を通じてでしかできない。
患者さんもセラピストも。



脳は大事だ。

でも整形疾患では受傷部やオペ創周囲の軟部組織の硬さや癒着など
非神経的要素そのものの問題があることを忘れてはいけない。

一部分の硬さは周囲の皮膚や筋膜、
結果的には関節運動時の異常感覚(ツッパリ感など)を生み出し、
それが関節運動と同時に知覚されれば、運動の予測に影響する。



退院は新しい人生のスタート。
入院中のリハはそのための準備期間。
より良く、多くの選択肢を増やし、

人生を楽しむための身体と心を持てるよう、関わりたい。