あなたの話は誰も信じてもらえないかもしれない
でも、あなたの行いは、誰もが信じることでしょう
ルイス・キャロル イギリス出身の作家。詩人。
どうもこんばんは。
「上縦束」で検索するとたまにWikipediaの下あたりにこのブログが登場する
Bridge管理人です。
まぁそんなことはどーでもいいんですが、
たまには真面目に書きます。
来月にASRIN様より、講演の機会を頂き、
小脳についての講義、配布資料を作るため色々文献やら本やらを読んでいます。
まだまだ自分も勉強中ですし、参加される期待にそえるものになるか分かりませんが、
自分が臨床を通じて思うこと、感じること、調べたことを形にできればと考えています。
今回のブログの内容はその資料を作る中で、自分の脳卒中に対するリハを振り返る機会になりました。
その思う所をまとめようと思います
が、上手くまとめられるかは分かりません…。
時間を持て余して、暇だから見るか、くらいの気持ちで読んで下さい。
大半は私見です。自分の勉強不足により間違っていることや説明が上手くできない、足りない部分もあると思いますがご容赦下さい。
中途半端な輩の戯言だと思って頂ければ幸いです。
脳科学の本や論文が多く出ています。
自分は英語はなかなか読めませんので日本語のものがほとんどですが…
fMRIなど脳イメージング技術の発展により
この領域はこれこれこうゆう条件で活動するため、あれこれそうゆう機能があると示唆される。
こんな感じで細かく様々な領域の役割が明らかになりつつあるようです。
またそうしたイメージング技術が開発される前には
ある症状を呈する患者が亡くなったあと解剖するとここの部位の損傷があった。
だからこの部位が損傷されるとこうした症状が出る、といった具合に損傷部位と臨床症状の解釈が行われていました。
自分が学生時代からも高次脳機能障害の機能局在は言われていましたし、今も言われているのでやはり障害部位と症状は関連性があるのでは?と思います。
では脳の知識はどう役立つのでしょうか?
画像を見ることで患者さんの症状の理解ができるかもしれません。
血腫の大きさや部位により予後予測に役立てることができるかもしれません。
ではこれらの知識はリハビリにとって役に立つのでしょうか?
本来の役割を果たすべき部位がダメージを受けたことで何らかの症状が出ます。
その部位の脳細胞が元に戻ることはありません。多分。
ではその役割を再獲得できるのでしょうか?
この問いに対しては私は自信を持ってyesともnoとも言えません。
毎日の臨床で障害された部位やネットワークを使っているかは分からないです。
でもリハビリを通じて何かしら変化をすることは多く経験します。
脳の中が実際にはどうなっているかは分からないけれども、見た目の行動を変えることはできるかもしれないと思っています。
小脳では障害された範囲が大きいほど運動失調の回復は悪いと言われています。
機能代償することができない、と言われていますが、残存部位の機能代償も実は仮説レベルで実際に証明されていないようです。自分の調べた範囲では…
脳の部位における機能を知っていれば評価でその部位の果たすべき機能が残存しているか評価することができます。
残存しているのであればその機能の活用を考えることができるかもしれません。
残存していないようであれば、他の代償手段や環境調整など他の戦略を考える必要があるかもしれません。
そしてここでタイトルです。
私は麻痺を治してはいない、です。
それは自然回復かもしれないですし、
リハビリによって変化をしたとしてもそれは評価以上に患者さんの残存能力、潜在能力があったのかもしれません。
実は他のネットワークで新たに生まれた機能かもしれません。
では視点を変えます。
上肢の麻痺があった場合に、手指のアプローチを行った結果手指の随意性は向上したとします。
運動機能回復です。nudoの研究などで脳梗塞後、損傷した領域の局在がリハビリによって拡大することは知られています。
しかし肘や肩の随意性は上がらず、手指しか動かない。
その患者さんの生活にとっては何の得もない。
これは良いのでしょうか?疑問が残りませんか?
動かない部分が動く、これも大切なことです。
ただヒトの身体はそれぞれの部位の寄せ集めではないので
それぞれの部位が動くイコール全体として勝手にうまい事機能する訳でもなさそうです。
でもそれが生活につながらないのであれば、またいずれその機能は使われずに低下してしまうのではないでしょうか。
麻痺、動かないことも問題ですが、そのことが引き起こしている生活の影響や制限にも目を向けていないと患者さんの生活には何の役にも立たないことをリハビリとして行ってしまう危険性があります。
だからこそ患者さんのニード、訴えを知らないといけないと思います。
また十分な運動機能回復が得られなくても、ニードである趣味や家庭での役割、復職などが可能なレベルにつなげることも大事なことなのかな、とも思います。
もちろん改善が期待できるものはできるだけ改善すべきでしょうし、そのために文献などから情報を収集することも大切です。
でも同時に患者さんの退院後の生活、退院までの期間を見据えてADLについても考えながらリハビリを進めていく必要があると思います。
私は臨床では脳がどうこう、ということも気にしますがそれ以上に行動の変化を大事に臨床をするようみ心がけています。
また脳のことを知っていれば残存部位における機能を活かし、障害部位による影響に配慮しながらリハビリを進めるとができるかもしれません。
注意や記憶に問題がある患者さんであればこちらの声かけや触れ方、注意の配分能力に合わせた課題の内容も考慮して提案できます。
脳科学を知っておくことで患者さんに優しく、意味のあるリハビリが提供できる役に立つのかな?と考えています。
でも、あなたの行いは、誰もが信じることでしょう
ルイス・キャロル イギリス出身の作家。詩人。
どうもこんばんは。
「上縦束」で検索するとたまにWikipediaの下あたりにこのブログが登場する
Bridge管理人です。
まぁそんなことはどーでもいいんですが、
たまには真面目に書きます。
来月にASRIN様より、講演の機会を頂き、
小脳についての講義、配布資料を作るため色々文献やら本やらを読んでいます。
まだまだ自分も勉強中ですし、参加される期待にそえるものになるか分かりませんが、
自分が臨床を通じて思うこと、感じること、調べたことを形にできればと考えています。
今回のブログの内容はその資料を作る中で、自分の脳卒中に対するリハを振り返る機会になりました。
その思う所をまとめようと思います
が、上手くまとめられるかは分かりません…。
時間を持て余して、暇だから見るか、くらいの気持ちで読んで下さい。
大半は私見です。自分の勉強不足により間違っていることや説明が上手くできない、足りない部分もあると思いますがご容赦下さい。
中途半端な輩の戯言だと思って頂ければ幸いです。
脳科学の本や論文が多く出ています。
自分は英語はなかなか読めませんので日本語のものがほとんどですが…
fMRIなど脳イメージング技術の発展により
この領域はこれこれこうゆう条件で活動するため、あれこれそうゆう機能があると示唆される。
こんな感じで細かく様々な領域の役割が明らかになりつつあるようです。
またそうしたイメージング技術が開発される前には
ある症状を呈する患者が亡くなったあと解剖するとここの部位の損傷があった。
だからこの部位が損傷されるとこうした症状が出る、といった具合に損傷部位と臨床症状の解釈が行われていました。
自分が学生時代からも高次脳機能障害の機能局在は言われていましたし、今も言われているのでやはり障害部位と症状は関連性があるのでは?と思います。
では脳の知識はどう役立つのでしょうか?
画像を見ることで患者さんの症状の理解ができるかもしれません。
血腫の大きさや部位により予後予測に役立てることができるかもしれません。
ではこれらの知識はリハビリにとって役に立つのでしょうか?
本来の役割を果たすべき部位がダメージを受けたことで何らかの症状が出ます。
その部位の脳細胞が元に戻ることはありません。多分。
ではその役割を再獲得できるのでしょうか?
この問いに対しては私は自信を持ってyesともnoとも言えません。
毎日の臨床で障害された部位やネットワークを使っているかは分からないです。
でもリハビリを通じて何かしら変化をすることは多く経験します。
脳の中が実際にはどうなっているかは分からないけれども、見た目の行動を変えることはできるかもしれないと思っています。
小脳では障害された範囲が大きいほど運動失調の回復は悪いと言われています。
機能代償することができない、と言われていますが、残存部位の機能代償も実は仮説レベルで実際に証明されていないようです。自分の調べた範囲では…
脳の部位における機能を知っていれば評価でその部位の果たすべき機能が残存しているか評価することができます。
残存しているのであればその機能の活用を考えることができるかもしれません。
残存していないようであれば、他の代償手段や環境調整など他の戦略を考える必要があるかもしれません。
そしてここでタイトルです。
私は麻痺を治してはいない、です。
それは自然回復かもしれないですし、
リハビリによって変化をしたとしてもそれは評価以上に患者さんの残存能力、潜在能力があったのかもしれません。
実は他のネットワークで新たに生まれた機能かもしれません。
では視点を変えます。
上肢の麻痺があった場合に、手指のアプローチを行った結果手指の随意性は向上したとします。
運動機能回復です。nudoの研究などで脳梗塞後、損傷した領域の局在がリハビリによって拡大することは知られています。
しかし肘や肩の随意性は上がらず、手指しか動かない。
その患者さんの生活にとっては何の得もない。
これは良いのでしょうか?疑問が残りませんか?
動かない部分が動く、これも大切なことです。
ただヒトの身体はそれぞれの部位の寄せ集めではないので
それぞれの部位が動くイコール全体として勝手にうまい事機能する訳でもなさそうです。
でもそれが生活につながらないのであれば、またいずれその機能は使われずに低下してしまうのではないでしょうか。
麻痺、動かないことも問題ですが、そのことが引き起こしている生活の影響や制限にも目を向けていないと患者さんの生活には何の役にも立たないことをリハビリとして行ってしまう危険性があります。
だからこそ患者さんのニード、訴えを知らないといけないと思います。
また十分な運動機能回復が得られなくても、ニードである趣味や家庭での役割、復職などが可能なレベルにつなげることも大事なことなのかな、とも思います。
もちろん改善が期待できるものはできるだけ改善すべきでしょうし、そのために文献などから情報を収集することも大切です。
でも同時に患者さんの退院後の生活、退院までの期間を見据えてADLについても考えながらリハビリを進めていく必要があると思います。
私は臨床では脳がどうこう、ということも気にしますがそれ以上に行動の変化を大事に臨床をするようみ心がけています。
また脳のことを知っていれば残存部位における機能を活かし、障害部位による影響に配慮しながらリハビリを進めるとができるかもしれません。
注意や記憶に問題がある患者さんであればこちらの声かけや触れ方、注意の配分能力に合わせた課題の内容も考慮して提案できます。
脳科学を知っておくことで患者さんに優しく、意味のあるリハビリが提供できる役に立つのかな?と考えています。
コメント
コメント一覧 (6)
そして僕も行動の変化が一番大事です。なぜならセラピストがメインに変えるのはそこだと思うからです。その背景に神経や解剖の可塑性や知識、メカニズムがあって。その順序といいますか認識は謝ってはいけないと思います。そして多様性を持つ患者さんを適切な評価・病態解釈のツールとなり、それが適切な配慮(声かけ、触る、環境設定など)・課題設定につながります。そのための脳の知識と考えます。1つ目です。
もう1つはもちろん目の前の変化を出すことは前提ですが、その出し方の根拠といいますか、長期的な予後と関連すると思います。
例えば、手指の麻痺治療、ストレッチや支持面の知覚などで即時効果があったとします。様々な方法で効果が出るのに、自分の概念や治療スタイルでの関わりだけで満足すると、本当は(少し遠いところから見る感じで)もっと根拠のある治療があるのかもしれない。それがエビデンスや標準的な介入につながると思います。手の麻痺も今言われている高い根拠、回復のメカニズム、手という概念など深い見識があれば、確実に効果を出せる(もしくは効果が期待できない)。それを知らないと、目の前だけの症状だけでの判断となり、それは良くないと思います。支持面の知覚も単なる支持面の知覚なら不要です。それが今後の治療の中で必要。生活を変えていくには必要なのでやる意味があり、そこを考えずに、ゴロゴロとハンドリング寝返り練習して多少上手くなりましたね!はどうかと思います。(寝返りができないとか、寝返ると痛みがあるとか、それができることで1人で起き上がれるなど意味があるなら必要ですが。)
おー書いていたら長くなってしまいましたすいません(笑)
脳卒中の患者さんは本当に多様で、脳科学の知識は必須(私見です)ですが、筋力や体力もとっても大事です。バイメカの視点もとっても大事です。そういった幅広い知識がないと、太刀打ちできません。ただ気づき(知覚)を与えることが一番人を変えることにつながります。単なる指導という刺激ではなく。いかに患者さんに気づきを与えるか。もちろん実感へと話になるのですが(笑)。そのために、注意障害や感覚障害の患者さんに、どう気づきを与える手続きを取るか。そのための知識だと思います。それが僕の言う配慮てす。
これを臨床で効果を示し続けるのがとても難しいですがやります!先生に負けないセラピスト目指します!!
運動機能回復=行為の回復、とまではまだ至っていないのが現状なのでしょうかね。
ただ運動機能回復なくして、行為つまりADLの向上があるのはある意味代償的な身体の使い方が上手くなっている場合もあります。
回復の期待が難しい疾患などではこれを第一選択としても良いと思います。完全の脊髄損傷であればそうすることが多いですよね。
でも脳卒中、特に急性期では覚醒の問題や脳の血腫や浮腫の問題もあり、その後血腫の消退などにより運動機能そのものが回復してくる場合もありますよね。だからこそ難しい。
運動機能回復にこだわるべきなのか、代償的な動作の獲得を進めていくべきなのか?
その判断要素として脳卒中のメカニズムや予後の情報は役立つと思います。
さらにカッサーノくんの言うように、脳の知識も1つのツールですね。筋や関節の働きを知らなければ関節運動や動作を分析することはできませんし、また関節運動や動作を評価できてもそこに脳の知識がなければなぜそうなるのか?は解剖・運動学的な見解だけに留まる可能性もあります。
色々知ってて損はないってことですかね。
極論自分のリハは患者さんとその家族の笑顔を生み出せる、ことがメインだったりします。
そのために勉強し、自分の技術を磨いている気がします。
同感です。
麻痺はうまく付き合っていく物だと思います。
患者様のニードを最優先する。その結果麻痺を治してほしいのであれば
やはりニューロリハとなってしまうんでしょうか。。
http://wrs.search.yahoo.co.jp/_ylt=A3xTpn6u9spRO1MATQiDTwx./SIG=129icoq5g/EXP=1372356718/**http%3A//seintoseiya1986.blog.fc2.com/blog-entry-2.html
斬新なブログタイトルでびっくりしました(笑)
脳科学の知見を知ることは大切だと思います。そこから何がリハビリとしてできるか考えることも大切だと思います。
ニューロリハももちろん重要になると思います。でも自分たちは直接リハビリ中の脳がどうなっているかを確認することはできませんし、なった瞬間に脳神経系をコーディネートできて、ほとんど後遺症もないくらいにできるのであれば、他の勉強はしなくていいかもしれません(ちょー極論ですよ)。
もし何らかの方法で麻痺の改善が期待できたとして、それに時間がかかるのであれば、その間の生活をどう過ごすか?ということも考えないと、廃用であったり、その間の麻痺が残った脳、身体での学習による姿勢や動作パターンによる影響も考えながら、毎日の生活をより良くできるような関わりも必要になると思います。
そのためには動きにくい身体を作らないための動作や関節の機能解剖の知識も必要になると思います。
また自分も回復期に務めていまして、入院中に麻痺が改善する方も多く経験します。でもそれは患者さんの自然回復であり、日頃の努力と変わり得る潜在能力を持っていたんだと思っています。セラピストの関わりとしてはそのきっかけを作ることであったり、そこにチャレンジする勇気と成功するための適切な課題レベルの設定と、一緒に喜ぶことだと思っていたりもします。
たしかに患者様の潜在能力を最大限に生かす「きっかけ」を作ることに関しては
リハビリは重要な役割を担っていると思います。
また窮地に立たされた患者様のメンタルフォローや、
ともに訓練し変化を共有して歓喜することも大変すばらしいと思います。
いささか斬新なブログタイトルではありますが、、
自分なりの意見をアウトプットしつつ、
今後のリハビリ分野を見据えて現実的な話を展開していきたいと考えております。
たまたまリハビリのブログでヒットしたブリッジ様のブログは大変興味深く
共感できることもあったり、価値観の違いを感じるところもあったり、、
今後もときおり拝見させていただきます。
よろしくお願い致します。
意見や考え方にズレがあるから議論もできますし、そこからまた新しい発見ができると思います。
今後ともよろしくお願い致しますm(__)m