チャンスに出会わない人間は一人もいない。
それをチャンスにできなかっただけである。
アンドリュー・カーネギー
代償については何度か書いてますね。
代償の再考
自由と代償
代償
⇡クリックすると過去のブログにつながります★
最近も後輩と話していて、
PTでは歩行をすると代償が出るから、やっていないみたいなんですけど自分(OT)的には歩行できそうなんですがやってもいいんでしょうか?的な質問を受け、ディスカッションしてました★
さて、皆さんはどう考えますか?
別に歩行でなくてももちろん構いません。
代償が強まるから、過緊張が強くなるから、ADL訓練や病棟や在宅でのADLの導入は辞めた方がいいのでしょうか?
もちろん、時期の問題もありますよね。
あまりに急性期の脳卒中の方には脳の状態が落ち着いてから、という手もあります。
初期の機能回復による自然回復があるので、
あまりに急いで機能回復以前の機能でのADLの自立を獲得してしまうと、
その後の自然回復があったとしても
患者さんはADLを回復前のパターンで自立して遂行していれば
その回復に気づくこともない場合もあります。
軽度の麻痺で発症当初からふらつきながらも自立してしまえば、
リハもなく退院してそのまま在宅を過ごす方もいます。
在宅であれば、毎日アドバイスをしてくれる人がいるわけでなく、困ってもナースコールを押せば誰か来てやってくれる、なんてこともないので、当人と同居をしている家族で毎日遭遇する問題の解決をしないといけないですよね。
そういった方たちの多くはどんな風に動作をしているか?よりもできるか、できないかが死活問題だったりします。
在宅で生活している方に
あなたのトイレ動作は異常なパターンだからトイレに行ったらダメ、とは言わないですよね。
なぜですか?
では入院の患者さんの話を
片麻痺の方の多くは何か行う際に過度に力を入れてしまったり、入れるつもりがなくても入ってしまうことがあります。
またそれは寝ていても出現することがあります。
では過緊張が強くなるから歩行はさせない、と考えた方に考えて欲しいのですが
立位をとると過緊張になるから立ったらダメ
座っていても過緊張だから座ったらダメ
寝ていても過緊張………
言わなくても分かりますよね。
過緊張だからダメ、と言ったら寝ることも許されなくなるんです。
じゃあどうしろと?
それこそ患者さんの尊厳を奪う行為に他ならないのでは?とも思ったりします。
ここで自分が3年目の頃に先輩から頂いた言葉を思い出しました。
「目の前の患者さんが歩きたい、と言えば歩行訓練の中でどうにかするのがセラピストなんじゃないの?」
「歩くと異常なパターンが出るから歩いたらダメ、というのは自分の技術が不足している、ってことを表明してるだけなんじゃないの?」
という言葉です。
今でもこの言葉は自分のリハのベースにもあります。
代償が出るから歩行をしないのではなく
じゃあどうしたら代償を出さずに、もしくは少なくできるのかを
考えることが大事なんじゃないでしょうか?
例えば皆さんが足首を捻挫したとして、歩き方が悪いから歩いちゃダメ、トイレに行っちゃダメと言われたら守りますか?
僕は守りません(笑)
だってめんどくさいし、看護師さんに見られたくないし…
別に転ぶことはなさそうならいいじゃん、ってのが本音です。
歩き方、よりも独りで歩けることが大事な方には
転倒のリスクさえ管理できていれば自立していきます。
本人ができそうだからやりたい、と思っていることを
セラピストの都合で抑制していれば
患者さんはやる気を失うかもしれません。
患者のニードである歩きたいことと
セラピストのニードであるキレイに歩いて欲しい
という思いにズレがあるからです。
そうすればリハ内容は患者さんにとってはあまり重要なものではなくなってしまうかもしれません。
そりゃあ自主トレなんてしないかもしれませんし
リハ中に集中してなかったりするかもしれません。
患者さんは歩きたいというニードを
歩行の自立によって叶えられます
そして病棟で歩いている中で
あれ、前と何か違うな
頑張って自分なりに歩いてるけど何か変だな…
ってゆうことに初めて気づくことができるかもしれません。
歩容を良くしたいというニードは
歩行をして、自分の歩行に違和感があったり、痛みが出た場合に
初めて生まれてくるニードかもしれません。
歩行を経験することすら奪っていたら
歩行の中で感じることのできる歩容の問題に気づくチャンスを奪っているのかもしれません。
セラピストは多くの患者さんを見ているので
立位姿勢を見れば、多分この方歩くとこうなるな…
と予測できるからこそ
やらない、やらせないという選択肢になると思います。
でも患者さんは初めての経験なんです。
頑張って歩いてたら歩けるようになる、と思っている方もいます
だからこそ経験してもらって、本人に納得、理解してもらった上でリハを進めていった方がセラピストと患者さんの目指すべき方向が少しでも近いものになるんじゃないでしょうか?
だからこそ患者さんが望んでいるのであれば
難しそうな課題でもチャレンジしてみることも大事だと思います。
最後に誤解を生まないように言っておきますが
じゃあ代償がバンバン出てもADL訓練しまくったらいいよ、という訳ではありません。
どうしたらその代償が出ている原因を少しでも改善できるのか?その方の潜在能力を少しでもADLに結びつけるために努力するのは当然です。
最後までお読み頂きありがとうございました★
それをチャンスにできなかっただけである。
アンドリュー・カーネギー
代償については何度か書いてますね。
代償の再考
自由と代償
代償
⇡クリックすると過去のブログにつながります★
最近も後輩と話していて、
PTでは歩行をすると代償が出るから、やっていないみたいなんですけど自分(OT)的には歩行できそうなんですがやってもいいんでしょうか?的な質問を受け、ディスカッションしてました★
さて、皆さんはどう考えますか?
別に歩行でなくてももちろん構いません。
代償が強まるから、過緊張が強くなるから、ADL訓練や病棟や在宅でのADLの導入は辞めた方がいいのでしょうか?
もちろん、時期の問題もありますよね。
あまりに急性期の脳卒中の方には脳の状態が落ち着いてから、という手もあります。
初期の機能回復による自然回復があるので、
あまりに急いで機能回復以前の機能でのADLの自立を獲得してしまうと、
その後の自然回復があったとしても
患者さんはADLを回復前のパターンで自立して遂行していれば
その回復に気づくこともない場合もあります。
軽度の麻痺で発症当初からふらつきながらも自立してしまえば、
リハもなく退院してそのまま在宅を過ごす方もいます。
在宅であれば、毎日アドバイスをしてくれる人がいるわけでなく、困ってもナースコールを押せば誰か来てやってくれる、なんてこともないので、当人と同居をしている家族で毎日遭遇する問題の解決をしないといけないですよね。
そういった方たちの多くはどんな風に動作をしているか?よりもできるか、できないかが死活問題だったりします。
在宅で生活している方に
あなたのトイレ動作は異常なパターンだからトイレに行ったらダメ、とは言わないですよね。
なぜですか?
では入院の患者さんの話を
片麻痺の方の多くは何か行う際に過度に力を入れてしまったり、入れるつもりがなくても入ってしまうことがあります。
またそれは寝ていても出現することがあります。
では過緊張が強くなるから歩行はさせない、と考えた方に考えて欲しいのですが
立位をとると過緊張になるから立ったらダメ
座っていても過緊張だから座ったらダメ
寝ていても過緊張………
言わなくても分かりますよね。
過緊張だからダメ、と言ったら寝ることも許されなくなるんです。
じゃあどうしろと?
それこそ患者さんの尊厳を奪う行為に他ならないのでは?とも思ったりします。
ここで自分が3年目の頃に先輩から頂いた言葉を思い出しました。
「目の前の患者さんが歩きたい、と言えば歩行訓練の中でどうにかするのがセラピストなんじゃないの?」
「歩くと異常なパターンが出るから歩いたらダメ、というのは自分の技術が不足している、ってことを表明してるだけなんじゃないの?」
という言葉です。
今でもこの言葉は自分のリハのベースにもあります。
代償が出るから歩行をしないのではなく
じゃあどうしたら代償を出さずに、もしくは少なくできるのかを
考えることが大事なんじゃないでしょうか?
例えば皆さんが足首を捻挫したとして、歩き方が悪いから歩いちゃダメ、トイレに行っちゃダメと言われたら守りますか?
僕は守りません(笑)
だってめんどくさいし、看護師さんに見られたくないし…
別に転ぶことはなさそうならいいじゃん、ってのが本音です。
歩き方、よりも独りで歩けることが大事な方には
転倒のリスクさえ管理できていれば自立していきます。
本人ができそうだからやりたい、と思っていることを
セラピストの都合で抑制していれば
患者さんはやる気を失うかもしれません。
患者のニードである歩きたいことと
セラピストのニードであるキレイに歩いて欲しい
という思いにズレがあるからです。
そうすればリハ内容は患者さんにとってはあまり重要なものではなくなってしまうかもしれません。
そりゃあ自主トレなんてしないかもしれませんし
リハ中に集中してなかったりするかもしれません。
患者さんは歩きたいというニードを
歩行の自立によって叶えられます
そして病棟で歩いている中で
あれ、前と何か違うな
頑張って自分なりに歩いてるけど何か変だな…
ってゆうことに初めて気づくことができるかもしれません。
歩容を良くしたいというニードは
歩行をして、自分の歩行に違和感があったり、痛みが出た場合に
初めて生まれてくるニードかもしれません。
歩行を経験することすら奪っていたら
歩行の中で感じることのできる歩容の問題に気づくチャンスを奪っているのかもしれません。
セラピストは多くの患者さんを見ているので
立位姿勢を見れば、多分この方歩くとこうなるな…
と予測できるからこそ
やらない、やらせないという選択肢になると思います。
でも患者さんは初めての経験なんです。
頑張って歩いてたら歩けるようになる、と思っている方もいます
だからこそ経験してもらって、本人に納得、理解してもらった上でリハを進めていった方がセラピストと患者さんの目指すべき方向が少しでも近いものになるんじゃないでしょうか?
だからこそ患者さんが望んでいるのであれば
難しそうな課題でもチャレンジしてみることも大事だと思います。
最後に誤解を生まないように言っておきますが
じゃあ代償がバンバン出てもADL訓練しまくったらいいよ、という訳ではありません。
どうしたらその代償が出ている原因を少しでも改善できるのか?その方の潜在能力を少しでもADLに結びつけるために努力するのは当然です。
最後までお読み頂きありがとうございました★
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